WHOの病名指針(2015年版)を試訳してみた

世の中は新型コロナウイルス一色ですね。

ところで、同ウイルスによる症状について、地名をつけて呼ぶべきという人たちがいるようです。

www.fnn.jp

新型コロナウイルスへの感染が引き起こす肺炎などの病気の名称について、「WHOが決めた『COVID-19』は覚えにくいし、病気の本質が理解しづらい。『武漢熱』と呼ぶべきだ」と訴えた。

地名をつけると本質が分かるという発想は、個人的には全く理解できません。

さて、この記事でも言及されていますが、世界保健機関(WHO)が病名の指針を2015年に作っています(つまり、比較的最近ではあるものの、今回のCOVID-19とは無関係です)。しかし、私が検索した範囲では、この指針の日本語版がありません。

原文(英語版)はこちら。

http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/163636/1/WHO_HSE_FOS_15.1_eng.pdf

なので、あえて試訳をここに示します。もしWHOや国連から問題とされたら消します。また、国連なり厚労省が公式の日本語訳を出したら、この記事はそのリンクに書き換えます。

訳についての注意

  • 医療や公衆衛生の素人による試訳です。公式訳がないため、やむなく作成しているものです。なるだけ正確に訳するよう努めましたが、確実な情報が必要な場合は原文を参照してください。
  • 文の区切りは原則として原文にあわせていますが、読みやすさを考慮し、大きな区切りのカンマなどは文として分割した箇所があります。
  • 丸カッコ内は、理解しやすさを考慮して翻訳時に加えた文言です。
  • 角カッコで英小文字を囲んだ部分([a]、[b]……)は訳注で、末尾に内容を記載しました。はてなブログの仕様上、脚注は1系統しかないため、脚注は原注に用いました。

以下が試訳となります。


新興感染症命名に関するWHOベスト・プラクティス

2015年5月

目的

世界保健機関(WHO)は、国際獣疫事務局(OIE)ならびに国際連合食糧農業機関(FAO)との協議・協力のもと、ヒトの新しい疾患の命名に関するベスト・プラクティスを策定しました。この目的は、病名が交易、旅行および動物福祉に与える不必要な悪影響を最小化すること、ならびに、文化・社会・国・地域・職業ならびに民族といった集団に対する攻撃を避けることにあります。

SNSなど電子的手段によるコミュニケーションが日増しに素早くグローバルになる中、ヒトの新しい疾患について、最初の発見者が適切な名前をつけることが重要になっています。WHOは、科学者・国家機関・国内および国際メディアならびにその他の関係者に対して、ヒトの疾患を命名する際に、本文書にあるベスト・プラクティスに従うことを強く推奨するものです。もし不適切な名前が公開または使用されたり、あるいは病名がつけられないままだった場合、WHOは、全世界の公衆衛生事象に責任をもつ機関として、暫定名称を策定し、その使用を推奨する場合があります。これは不適切な名前が定着するのを避けるためのものです。

ヒトの新しい疾患に、WHOや他の機関が現時点でのベスト・プラクティスに基づいて割り当てた名前は、後の段階で国際疾病分類(ICD 1)によって採用される場合も、されない場合もあります。ICDは、WHOが管轄し加盟各国により承認されているもので[a]、ヒトの病気についての最終的な標準名を定めています。その決定は名前による否定的な影響の抑制に加えて、科学・コミュニケーション・政策のバランスをとることを目的とする標準ガイドラインに基づきます。このようなわけで、このベスト・プラクティスは既存のICDの体系の置き換えや干渉を意図するものではなく、むしろ、ヒトの新しい病気発覚の識別と、ICDによる最終的な命名の間を埋めることを意図しています。またWHOは、既存の国際的な制度[b]や主体が病原体の分類や語彙において責任を負ってきたこと、それらに対して今回のベスト・プラクティスが直接影響しないことを認識しています。

対象となる病気の命名

今回のベスト・プラクティスの適用対象は、新しい病気のうち次のものです。

  • ヒトの感染、症候群、疾病であること
  • これまでヒトが患ったとされていないもの
  • 潜在的に公衆衛生への影響があるもの
  • 通常の用法として病名が定着していないもの

病気の命名に関するベスト・プラクティス

病名は、表Aに挙げた用語の組み合わせを含むべきです。表Aの用語は、下記の原則に基づいて定めたものです。(一方、)表Bに挙げた用語は避けるべきです。用語の使用に関する一般的な原則は次の通りです。

  1. 一般的な記述用語は、どのような病名にも使用できます。一般的な用語は、その疾患や症候群に関して利用できる情報があまり確定的でない場合に最も便利でしょう。なぜなら、(一般的な用語が示す)基本的な性質は、新たな情報が追加されても変わりにくいからです。
    (例)呼吸器疾患、肝炎、神経症候群、水様性下痢[c]腸炎
  2. 特定の記述用語は、利用できる情報が十分確定的で、疫学上、あるいは病像の大きな変動が起きそうもない場合であれば、使用してください。(なお、)高度に専門的な用語よりも平易な用語の方が好ましいといえます。
    (例)進行性、若年性、重度、冬季
  3. 原因となる病原体が判明している場合は、キーワード[d]を追記した上で、それを病名の一部としてください。病原体をそのまま病名とするべきではありません。これは1つの病原体でも複数の疾患を起こす可能性があるためです。
    (例)新型コロナウイルスによる呼吸器症候群[e]
  4. 名称は(最小の文字数という意味で)短く、かつ発音しやすいものにしてください。
    (例)H7N9、rabies(狂犬病)、malaria(マラリア)、polio(ポリオ)[f]
  5. 長い名称は頭字語として略されやすいことから、潜在的に予測される頭字語も、これらのベスト・プラクティスに対応しているか評価してください。
  6. 名称はICDのコンテンツ・モデル・リファレンス・ガイド2と、可能な限り一貫させてください。

表A

病名に含めうる語句 役立つ用語の例
一般的な記述用語(臨床症状、生理学的プロセス、解剖学上または病理学上のリファレンスまたは影響を受けるシステム[g]
  • 呼吸器性、神経性、出血性
  • 肝炎、脳炎、脳疾患、下痢、腸炎、免疫不全、麻痺
  • 肺性、心臓性、胃腸性、海綿状
  • 症候群、疾病、発熱、不全(failure)、欠乏(deficiency)、機能不全(insufficiency)、感染
特定の記述用語
 患者の年齢層、母集団 若年性、小児性、老年性、妊娠中
 時間的経過、疫学、起源 急性、亜急性、慢性、進行性、一過性、接触伝染性、先天性、動物原性
 重症度 重症A、軽症
 季節変動 冬季性、夏季性、季節性
 環境 地下、砂漠、海洋、海岸、河川、湿地
原因となる病原体ならびに関連キーワード
最初の検出あるいは報告があった年、または年と月C 2014、3/2014
任意の識別子 Alpha、beta、a、b、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、1、2、3

表B

病名に含まない語句 避けるべき例
地理的位置:都市、国、地方、大陸 中東呼吸器症候群(MERS)、スペイン風邪、リフト谷熱、ライム病、クリミア・コンゴ出血熱、日本脳炎
人名 クロイツフェルト・ヤコブ病、シャーガス病
動物の種や区分、あるいは食物 豚インフルエンザ鳥インフルエンザ、サル痘、ウマ脳炎、麻痺性貝毒
文化、集団、産業あるいは職業への言及 職業性、レジオネラ(在郷軍人)、鉱山労働者、食肉解体業者、料理人、看護師
不適切な恐れを煽る語句 不明、死、致命的、流行性

※(表A,Bにおいて)上つき文字で示す語句についての詳細は以下の通り

A 「重症」は初期の致死率(CFR)が非常に高い病気に対して使うのが適切です。なお、この場合でも事象の進行に応じてCFRが低下する場合があります。

B 「新型」は既知の種別に含まれる新しい病原体を示すのにも使うことができます。なお、この用語(「新型」)は、同じ種別の新しい病原体が見つかった場合は(意味を失い)旧式扱いになります。

C 年代(年または年と月)は、異なる年に発生した類似する事象を区別する必要がある場合に使うことができます。

(C) 世界保健機構 2015年

訳注

[a] ICDはWorld Health Assembly(WHO総会)で承認されることから、ここでは「承認」としました。
https://www.who.int/classifications/icd/revision/timeline/en/

[b] "internatilnal systems"は、国際関係論でいう「国際システム」とは考えづらかったため、国際組織や条約関係などを包括的に示す形で「制度」としてみました。

[c] "watery diarrhoea"と「水様性下痢」を含む文献の例がありました。
http://journal.jsgs.or.jp/pdf/028091943.pdf

[d] "additional descriptors"は識別用キーワードと判断しました。

[e] 2015年の文書の記述であり、2020年に流行したSARS-CoV-2のことではありません。

[f] 文字数や発音についての項目なので、あえて元の語を示しています。

[g] "anatomical or pathological references/systems affected"ですが、"references"と"systems"は訳語を確定できませんでした。また、affectedはsystemsだけにかかると判断しましたが、間違いかもしれません。

[h] "variant"。「変異体」と「変種」が主な訳語候補でしたが、病原体関連だと遺伝子相違を見ると判断して変異体を選択しました。